ありのままの自分を受け入れながら受け入れてみないでみる。

以前、「転職して年収600万円から350万円になった話。」をタイトルとして文章を書いてみた。
参照: https://tonkatsu-on-the-edy.hatenablog.com/entry/2023/06/12/221010

本業では稼ぎが足りないからブログでも書いてみるかと思ったのがきっかけ。

ただし、重要なことを忘れていた。

文章を書くことが絵を描くことに次いで苦手だと。

本は1年に1冊程度しか読まないし、

学生時代も国語が1番の苦手教科だったし、

大学の卒業論文も2万字がノルマのところを8千字しか書かなくて、教授に呆れ顔されながら卒業した。

そして人生で一度も成功しなかったことが、「継続」である。

現に新卒採用で働いた会社も2年で辞めたし、転職した話のブログも10日で2本しか上げていない。

これが私だ。これでいい。

でもいつも引け目を感じる。

これで本当にいいのかと思う(だけ)。

 

だから自分が好きなお笑いやサウナのことを綴りながらもう少し書くことは続けてみる。

とりあえず転職絡みの話は一回やめる。

気が向けば書きます。

 

ありのままの自分を受け入れながら、受け入れてみないでみる。

転職して年収600万円から350万円になった話。【退職編】

入社して1年半経った頃、常習的に周囲に迷惑をかけてしまうようになり、限界を感じた私は

10年以上先輩のOJTに相談を持ちかけました。

察した先輩は、すぐに手を止めて事務所の端にある打ち合わせブースに私を案内しました。

隣のブースでは、4年先輩の営業社員と部長が打ち合わせをしていました。少し気まずさを感じながら、席についた私は開口一番隣に聞こえないよう小さい声で「辞めようと思っています。」と伝えました。

先輩は意外そうな顔をしながらも、笑みを浮かべて「やっぱりな、そんなこと言い出すとは思ってたわ。」と。

私は内心、(フランクに来たかあ。)と思いながらも同じトーンで辞めたい理由を一通り述べました。

すると先輩は、手帳から1枚の手紙を取り出し私に見せました。

OJT-「これな、昔ペアを組んでた後輩が辞めるときにくれた手紙やねん。こいつもお前と同じように真面目やけど、事務的なことが苦手でなあ。・・・」と。

内心-(えっ、これって俺の話と関係なくないか?)

OJT-「俺も昔辞めたいと思ってた時期あってなあ。」

内心-(自分の話し始めた。あかん、相談する人間違えた。)

と半ば諦めモードで話も上の空になっている瞬間、隣のブースの部長の声が耳に入ってきました。

部長-『じゃあ退職ってことでいいな。受け取るぞ。』

5秒ほど考えて気づきました。

(えっ、4年上の先輩辞めんの⁉︎ってことは、営業の枠1つ空く?今辞めるのはもしかしてもったいない?)

OJT「・・・・やから辞めんなよ。」

目の前の人の声が戻ってきました。

隣の会話を聞いて、自分が営業になれるという何の根拠もない期待が芽生えたことと、早くこの話を終わらせたかったことから

「わかりました。もう少しやってみます。」

と口にしました。

先輩OJTは私の心変わりの速さに驚きながらも、安心した顔で話を締めて、自分の席に戻って行きました。

2ヶ月後、忘年会兼送別会を無事に終え先輩は退職しました。部署の方針では4月の人事異動までの間は今の営業メンバーで穴を埋めることになりました。

ただし、上司を含めた部署全体が、私が穴埋めになるのだろうという雰囲気があったため

私はまた延命するのでした。

 

さらに2ヶ月後、4月の人事が発表されました。

新たな営業は、関西エリアでずっと営業アシスタントをしていた2年上の人に決まりました。

少し考えれば予想できた結果ではありましたが、何の根拠もなく膨らみきっていた期待は泡沫のように弾けました。

 

そして営業アシスタント3年目に突入するのでした。

 

【本当に退職編】へ続く

転職して年収600万円から350万円になった話。【挫折編】

関西のマンモス私大を卒業後、新卒採用で大手専門商社へ就職。

ボーナスは夏に約70万円、冬に約100万円。

社会人2年目の年収は580万円。

と、資格も無いド中堅学歴の割には高給な企業へ勤めていました。

そんな私が仕事に挫折し、転職活動をおろそかにしたまま退職した結果、

年収は350万円になり、マイカーを売り、1年半付き合った彼女と別れ、15㎏太り、借金50万円を背負うことになった話を紹介します。

 

【挫折編】

コロナ元年、入社後2か月の在宅リモート研修を経て人事部より初期配属を言い渡されました。

配属先は住宅設備及び建設資材を取り扱う部門。

やりたかった部門ではないものの、そこまで強いこだわりはなかったということもあり、悪い印象はありませんでした。

最初の仕事は営業アシスタント。主な仕事は見積作成、受発注、請求書作成などの社内業務でした。

クライアントはハウスメーカー工務店など戸建て住宅を建設する企業で、先方から送られてくる仕様書を基に、浴室やキッチンなどのプランと見積を作成することと、現場の工程を確認しながらそれらの商材や工事担当者を手配することがメインでした。

細かい作業や管理が苦手な私とは相性が最悪な仕事で、

ことあるごとにミスを連発し、クライアントに迷惑をかけ、会社には損害を与えていました。

自責の念が強い私は自信を無くし、焦ることでミスの頻度を加速させていくのでした。

 

〈主なミス〉

・色やサイズ間違いなどの発注ミスにより、工期が遅れる。

・納期ミスで工事の空振り費用を発生させる。

・計上処理間違いで、仕入れ先への支払いが遅れる。

 

そんなミスを続ける私に対しても上司や先輩は温かい声をかけてくださり、そのほかの部分を褒めていただいたりととても温厚に接してもらっていました。

その周りのやさしさがとても苦しく、情けなく、悔しく、余計に自分のことが嫌いになり、日に日に無気力になっていくのでした。

 

「、、、、、、、、もう無理だ。仕事をやめよう。」

 

【退職編】へ続く